先日、展示会に伺いました。
町内で大きな陶芸の窯があることで有名な増穂登り窯というところです。
ここで、4人展をやっていました。
4人の作家さんがそれぞれの作品を展示してあるのです。
この登り窯、大きな窯が確か8つ?くらいあるって言ってましたよ!
これで土を焼いていくんです。
すごい迫力です。
今回は陶芸家さん3名、木の職人さん1名での出品です。
作家さんたちとそれぞれの思いなどのお話を聞いていて思い出したことがあります。
パンを焼くことは自己表現
何かの雑誌でみたんですが、あるパン屋さんの女性が紹介されていました。
どこか、和歌山だったか?その辺りのパン屋さんだったと思います。
山の中にあって、行くのも大変そうな場所にそのパン屋さんはありました。
その女性は
「パンを焼くことは私にとっての表現だ」
と言ってたんです。
最初、パンが表現?!と、ちょっと今まで考えたことのない視点でした。
表現ってどういうことでしょう。
私は演劇をずっとやってきたので「表現」という言葉はよく使います。
自分を表現するということは、自分を表すということ。
自己表現、とも言いますね。
自分の何を表すのか?
思想だったり、希望や願いなどの強い思いなどが多いかもしれません。
絵画などではわかりやすいところでしょう。
パンでそう言ったことを表す、というのはわかりにくい気がします。
それよりも「個性」なのだと思います。
パンを作る人はたくさんいますけど、それぞれに傾向があります。
「菓子パン」をよく作る人
「ハード系のパン」をよく作る人
「凝ったデザインのパン」をよく作る人
「シンプルなパン」をよく作る人
など、その人によって作るパンの傾向があるということです。
それぞれの「好み」が反映されているのです。
そういう意味での「個性」の表現ということではないでしょうか。
パンの種類の他に、材料にも個性が現れます。
どんなものにこだわっているか。
酵母の種類だったり、小麦粉だったり、砂糖や塩・・とこだわるものについてはたくさんあります。
そんなことも含めての出来上がりのパンには「個性」があります。
全部をひっくるめてのパン作りということになります。
私はパン作りに関しては「自己表現の場ですよ」なんて発信はしていませんけど、
確かに傾向があります。
よく言われるのは
材料がシンプル
ということです。
他の教室に通われていた方にとって、油脂やスキムミルクなどの乳系を入れるのは当たり前らしいです。
結構、どんなパンにも入っているとか。食パンとかシンプルな食事パンにも。
それが入っていない。食パンで言うと、
粉、てんさい糖、塩、酵母
のみです。それが新鮮みたいですね。何人かの方に言われました。
パンのメニューの中で材料に卵やバターが入っていると
「先生のパンで今日は珍しいですね!」
と言われることもあります。それほど、使わないメニューが多いってことですね。
それが、ぱん蔵のパンの個性であり自己表現と言うことなんですね。
皆さんはどんなパンを焼きますか?
今日は、改めて「パン作り」での表現について考えてみました。
それほど、先日の4人展の印象が深かったんです。
それぞれの思いが作品の中で生き生きと発信されている。
アーティストと言うものは
表現せずにはいられない欲
と言うものが一般的な人よりは多く溢れ出ているのです。
その溢れ出てきたものを何かで表すしかないのです。
演劇をやっていてもそうでした。
そうやって人は自分がこの世に生きている証のようなものを表明して、確認しているのだと思います。
それぞれ表現の仕方は違っても確かめ合って生きている。
芸術じゃお腹いっぱいにならないけれど、
芸術は人を人であらしめることである
とかつての文豪が言っていました。
そんなことを考えたある日でした。